●皮質および核混濁の有所見率が高く、後嚢下混濁は最も少ない。日本人では皮質単独混濁で発症することが多く、高齢者では混合型混濁が多い。
●透明水晶体からの混濁の発症率も加齢に伴い増加し、女性では男性に比べ皮質、核混濁発症率が高い。
初期混濁も含めた水晶体混濁有所見率
50歳代 | 37~54% |
60歳代 | 66~83% |
70歳代 | 84~97% |
80歳代 | 100% |
日本白内障疫学研究班分類で程度2以上の進行した水晶体混濁の有所見率
50歳代 | 10~13% |
60歳代 | 26~33% |
70歳代 | 51~60% |
80歳代 | 67~83% |
人類はなんと紀元前から白内障という病気について認識がありました。古代より目に針を刺したり、手で圧迫したりして目の白濁を除去しようと試みられていたようです。紀元前800年ころのインドの古典医学書スシュルタサンヒターに白内障手術についての記述が残されています。
14世紀には日本にもインド、中国経由で針で白濁した水晶体を取り除く手術が行われるようになりました。しかし、麻酔などはなく、成功率も30%ほどだったようです。
20世紀半ばになると、リドリー博士による眼内レンズ治療、そして現在の主流となっているケルマン博士によって、小さな傷口から濁った白内障を破砕吸引する超音波白内障手術が開発され、白内障治療が大きく進歩しました。
日本の眼科の歴史において「最初の眼科専門医」として認識されているのが14世紀に活躍した「馬島清眼(まじませいがん)」という僧侶です。
馬島清眼は醫王山薬師寺を再興し、馬島流眼科を創始したと言われており。日本眼科の源流をさかのぼると、ほぼこの馬島清眼の興した馬島流に行き着くとされています。
醫王山薬師寺は、後に「明眼院」という名称を授かり、今も愛知県に現存しています。